〜Hitomin's diary〜

Fukuoka CB 森田ゼミ☆

哲学に触れてみた

こんばんは☻

 

先週のゼミでは哲学を学びました。

一回音読しただけでは、理解することが難しい内容でした。

そして私は気付きました。自分が音読しているパートは一文字も頭に入ってこない!!ただ文字を読んでいるだけだった!!!

だから本が苦手なのかなぁ、

読みながらも内容理解できる力を、つけていかなければ、、、

なんとかみんなと話し合いながら、少しずつ理解を深めていきました。

 

そして読むときは

論文の教室を参考に・・・
1.メウロコ:なるほどそうだったのか!
2.スゴドウ:凄く同意できる!
3.ナツイカ:どうしてそう言えるんだろう?納得いかない!
4.ハゲパツ:その主張は絶対に認めん!

 

の4つポイントを意識しながら読み進めていきました。

 

 

まずはゼミでやったAパート!

 

め)悪意のうちにこそ人生の豊かさがある。

この部分にハテナを抱きました。

 

私は、悪意=よくないこと、持ってはいけないもの

と認識していました。

その悪意が人生の豊かさという文章に違和感があり、納得がいきませんでした。

 

みんなと話し合いを始めると、1人では導けない考え方や捉え方がたくさん出てきて、面白かったです。

 

もしかしたら、悪意の捉え方・人生の豊かさの捉え方が、この作者と私たちで違うんじゃないかなという意見が出ました。

 

うーん、もやもやした気持ちのまま

最初から1文ずつをみんなでゆっくり読み進めていくと、

 

またまた、ハテナを抱くところがありました。

 

攻撃することが禁じられている権威(父親)を「同一化」を経て自己の中に取り入れることによって、困難な状況を脱するところに「罪悪感」が生まれるのである。

 

という部分です。

 

グループワークにとても助けられ、例を考えて理解することができました。

例えば「お金がない」という困難な状況のとき

お金を盗みたいと思う気持ちが生まれます。

しかしその気持ちに罪悪感が生まれ、お金を盗むことを、踏みとどまることができます。これは父親という尊敬できる人みたいにならなければならないという、同一化を思うことによって可能にしているのだと解釈しました。

 

同一化の意味がいまいちよく分からなかったのですが、踏みとどまることができたのは理想の自分がいるからで、その理想の自分を作ってくれたのは尊敬する父親だということ。その父親を自分と同一化することで、罪悪感が生まれた。

 

この分には納得させられました。

 

次にBパート

ここからは1人で考えているので、理解が浅いですが、、、、

 

このBパートは納得する部分が多かったです。

 

◯不快を抱くことが禁じられると、どんなに息が詰まるのか、ということ

◯多くの人は、他人から自分が「不快である」と明言されたくないということ、また、不快に感じられたくさえないということ

◯「ユダヤ人であるが故に差別する」のではなく、「ユダヤ人であることを一要因として差別する」と言い訳すること

 

なるほど…

 

今相手を不快な思いをさせたらいけない!とか、自分がされて嫌なことは人にしたらいけない!と幼い時から教わってきたけれど、相手を不快に思ってはいけないとは、教わったことはなかった気がします。

もちろん私はこれまでに不快な思いをしたこともあります。もしかしたらこの不快な思いも悪意に含まれるのかな、そう頭の中でよぎりました。

そうだとすると、うーん、悪意=よくないことと決め付けるのは間違えっているのかなと思いました。

 

 

続いてCパート

と行きたいところですが、ここで一旦区切ります。

 

 

ではまた明日。